足利尊氏・直義兄弟は夢窓疎石(むそうそせき)の勧めによって、平和を祈願し、元弘以来の戦死者の菩提をとむらうため、暦応元(1338)年頃から以後約10ヵ年にわたり、全国六十六国二島にそれぞれ一寺一塔をつくった。
そして貞和元(1345)年に光厳(こうごん)上皇の院宣(いんぜん)によって、寺を安国、塔を利生(りしょう)と称した。壱岐国安国寺はこの時創建されたものではなく、既存の海印寺(かいいんじ)を安国寺にあてたもので、そのため壱岐安国海印寺と呼ばれている。
安国寺の開山は無隠元晦(むいんげんかい)で、京都南禅寺から観応元(1350)年以後に来島して開いた。以来火災にあうこともなく、高麗版大般若経などを蔵して今日に至っている。一方利生塔は今日伝わっていない。
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